「聖骸布」(イタリア語Sindone、英語Holy
Shroud)とは、イタリアのトリノの聖ヨハネ大聖堂に保管されている長さ4.41m幅1.13m(新しい数値)の布。それは十字架から降ろされて墓でイエスの遺体が包まれた亜麻布だと言われている。それには鞭打たれ、拷問を受け、十字架刑に処され殺された人の正面と背面の姿が見られる。処刑は福音書が語るイエスの刑と一致しているが、信ぴょう性を認める立場と否定する立場とがあり、世界で最も研究された歴史的な遺品であるといえる。
ヨーロッパに現れたのは14世紀半ば。それ以前、存在を示す手がかりはあるが、キリストの時代までにさかのぼる明確な記録はない。判断の根拠は何よりも布そのものの科学的研究と、聖書の記述である。しかし、直接に本物を見る機会は少なく、普通は写真に基づいて判断することになる。残念ながら、多くの人は、他人から聞いたことや思い込みに基づいて判断する。幸いに、今日本にも十分な文献があるし、私の手元にある豊富な資料、そして何よりも実物大の精密なレプリカを見ることができる。このホームページで紹介するのも最新の精密な写真である。私は1950年大学時代に聖骸布に出会い、1955年に来日し、全国に聖骸布の知識を広めてきており、ここで簡潔で客観的に自分の研究したことをご紹介いたします。
初めて聖骸布を見る時、まず並行2列の穴や茶色の模様が目に着く。それらは、1532年12月3日‐4日の夜、フランスのシャンベリーで発生した火災の結果である。布が箱に畳んだ状態で金属のふたの一角が溶け、燃える一滴が布を貫いた。火を消すために水をかけたのでそのしみも残った。不幸中の幸い、人物像はほとんど無事であった。今、正しく見るにはこの火災のことを念頭におくべきである。
火災後、慎重に調査した後、1534年に聖クララ会のシスターたちに修繕を頼んだ。彼らは15日間昼夜もいとわず、精密な作業を行い、継ぎ当てで穴をふさぎ、弱った布全体の裏に別の裏打ち布を縫い付けた。これで裏面が見えなくなった。なおシスターたちは、自分たちが観察したことの貴重な記録を残した。その継ぎ当ては、2002年以前の写真で見ることができる。
しかし、別な火災の模様もある。以前描かれた絵画に見られる。それらには人物の腰あたりの左右に見えるL型の4か所の黒ずんだ小さな焼け跡である。位置から見て、布が四つ折りだった時のこと。燃える炎の跡よりも、炭火か酸性液体のような跡と思われる。布を修繕したシスターたちはその違いに気付いた。1931年の鮮明な写真の時までだれもそれに言及したことはない。それらの焼け跡も聖骸布の時代不明の歴史を物語る。
1532年の火災以前、聖骸布に付いていた時代不明の焼け跡。膝あたりに4か所にある
以前の聖骸布の一般公開やプライベート公開に際して、この布への尊さを示すためにろうそくが灯されていた。布上の姿がないいくつかの箇所にはロウの跡が見える。
聖骸布に蝋燭の蝋も付いている。昔、照らすために使っていた蝋燭の位置にある
2002年、聖骸布の姿は大きく変わった。というのは、1534年にシスターたちが縫いつけた継ぎ当てと裏打ち布が全部取り除かれたのである。今、聖骸布は火災後の状態に戻っている。それを実現するには一か月半ほどの精密な作業が必要だった。それを成し遂げたのは、世界的な布の専門家Mechthild
Flury-LembergとIrene Tomedi氏である。
2002年、聖骸布に付けられていた継ぎ当てを外す二人。聖骸布は1532年の火災後の状態に戻された
その結果、以前、縦4.36m、横1.1mと言われてきた聖骸布の寸法は、2002年以降、しわを伸ばしたために4.41m×1.13mとなっている。しかし、布の伸縮の問題があり、図のとおり、位置によりいくらか寸法が違うところがある。
聖骸布は一枚の大きな布だと思われているが、実際、本体の片方の長い縁に沿って幅8cmの同じ織り方と材質の布が付けられている。理由不明である。その両端は欠けているが、いつ切られたかは不明である。Mechthild
Flury-Lembergが言うには二つの布は「二重縫い方ribattuta」という非常に特殊な合わせ方で縫いつけられている。自分が知っている限り、同じ縫い方は死海のほとりにあるマサダという要塞にしか見つかっていない。それは西暦70年ごろのもの、キリストの時代にさかのぼるものである。
本体の片方の長い縁に沿って幅8cmの同じ織り方と材質の布。両淵に何センチも切られている。時代不明とのことである。
聖骸布は織物として上等な「杉綾織」の亜麻布である。「杉綾織」はキリスト以前のものが見つかっており、歴史的に問題はない。亜麻布もすでに古代エジプトによく知られていた。ミイラは亜麻布に包まれている。7000年前のものがあり、人類の一番古い繊維であると思われる。本体の短い縁に初めと終わりを示す縫い目の耳がないので、もともとより長いサイズの大きな布一枚から必要な長さの分が裁断したことがわかる。
聖骸布は、一番使われている亜麻(linum usitatissimum
L.)という草木植物でできている。それは古代から主に布地として使われていた。聖骸布の布は縦型手織り機で織られ、それは中近東のものと一致している。材料は着色されていない自然の亜麻、繊維は手で紡がれ、縦糸の太さは不均等でZ(ゼット)縒りである。横糸も同様であるが、より太くより不均等。縦糸は80本、横糸4本である。
聖骸布は1500年代の終わりから豪華な箱に納められ、筒に巻かれていた。その結果、巻き直すたびにしわがつき、血痕の断片が散り、本体と裏打ち布の間に無理が生じ、燃えカスが溜まり、布に悪影響が及ぼしたりしていた。1992年、保管を考え直す委員会が結成されたが、1997年、以前保管されていたチャペルの修復工事中火災が発生し、カテドラルに移っていた聖骸布がかろうじて救われた。1998年の一般公開後、安全な保存方法が決まった。まず、布を広げた状態で保存することを決めた。それを密封した鋼鉄の容器に入れ、外から見えるように上に防弾ガラスを張り、温度・湿度・気圧を一定に保ち、黄ばみによって姿の鮮明度が低下しないように中に不活性アルゴンガスを入れることにして。保管場所はトリノのカテドラルの左側奥のチャペルにした。今はそこで、その前で祈ることができる場所となっている。
現在、聖骸布が平らの状態で保管されている容器。大聖堂の左側にある。