聖骸布の科学的研究を理解するために、以前それに関わった人たちが直接に聖骸布を見ることができず、今私たちが今持っている写真も持っていなかったことを念頭に置くべきである。そのため、彼らの研究に有効ではないところがあるわけである、無駄な話を避けるために、最近明らかになった大事なことをまず知るべきである。
2002年の修復まで、聖骸布に裏打ち布が付いていて、誰も裏面を見ることができなかった、1978年の科学調査の時、アメリカチームは調べようとしたが、糸で一面を細かく止めてあったので、足の部分だけをはずした。そこに血の跡があったが姿はないことに気が付いた。証言を疑った人がいたが、2002年、ついに裏面全体に姿がないことを確認できた、血はしみ込んでいるが、姿はない。つまり、姿は液体によってできたのではないということ。彼らが言った通り、姿は表面的であって、2,3ミクロン程度しか布に入っていないのである。血の膜が付いている糸の場合、それを外せばその下は白である。先に血が付いて、次に姿ができたのである。アメリカチームが言ったように、聖骸布の上の姿は亜麻布が脱水状態になり、変色したことにすぎない。いっさい、塗った跡はないのである。
聖骸布の科学的研究が始まったのは法医学からである。この布の上に十字架刑に処せられた人の意外な物的証拠が残っている。解剖学や病理学の医者たちにとって、1931年の写真は処刑された人の死因を解く貴重な手がかりとなった。この研究のパイオニアはフランス人外科医Pierre
Barbet、チェコ・アカデミーのRudolph Hynek、イタリアのGiovanni Judica Cordigliaだった。彼らの分析は今日も有効である。
これらの研究が進められていた間、第二次世界大戦が勃発し、聖骸布の安全を考えて、一時トリノから離れて、秘密で南イタリアの山中の修道院で隠された。