- 1453年サヴォイア家の所有。 Charny家の最後の子孫Margueriteが1453年に聖骸布をサヴォイア家のルドヴィコ2世に寄贈したことにより、530年間、聖骸布はその家宝となった。以降の歴史の要点は次の通りである。
- 1506年シャンベリーへ。
教皇ユリウス2世は聖骸布の典礼を許可しミサを承認する。この年に、聖骸布はサヴォイア家の首都シャンベリーのチャペルに安置され、毎年5月4日に「公開されるようになった。
- 1532年12月4日火災。、そのチャペルで大火災が発生し、聖骸布の入った金属の箱のふたの一部が溶け、その数滴が48枚に畳んだ布を貫通した。
- 1534年5月2日~15日修復、 クララ会のシスターが布を修繕し、継ぎ当てで穴をふさぎ、布全体を強めるために一枚の裏打ち布を縫いつけた。
- 1578年トリノへ。 Emanuele
Filibertoは首都をトリノに移した。ミラノがペストから解放された感謝としてその司教聖カルロ・ボロメオが聖骸布まで巡礼すると誓願を立てたので、その旅を短くするために聖骸布がトリノに移され、そこに残るようになった。
- 1694年新しいチャペルへ. 宮殿の新しいチャペルに聖骸布が安置され、原則として年一回一般公開があり、プライベートの公開と合わせて150回ほど公開された。
- 1898年5月25日~28日最初の写真。 最初の写真が撮影され、姿がネガであることが発見され、学的研究が始まった。
- 1931年5月4日~24日新しい写真。 20世紀最初の一般公開があり、Enrie氏より鮮明な写真が撮され、7月に日本で初めてチマッティ神父から紹介された。
- 1978年8月26日~10月8日科学調査。 トリノへ移された400周年を記念に公開され、教皇ヨヨハネ・パウロ2世が巡礼し、終了後44名の研究者は125時間にわたって科学調査を行うことを許された。
- 1983年バチカンに寄贈。 サヴォイア家最後の王ウンベルト2世は、教皇庁に聖骸布を寄贈した。
- 1988年炭素14年代測定。 布から標本を切り取って炭素14による年代測定が実施され、1260年~1390年のものだと発表されたが、その後の再点検によりその結果が疑問視された。
- 1997年4月11日の夜チャペル火災。 修復工事中の終了前に聖骸布のチャペルが全焼したが、大聖堂にあった聖骸布は助かった。
- 1998年4月18日~6月14日一般公開。 最初の写真撮影100周年記念に一般公開された。
- 2000年8月12日~10月22日一般公開。 「救いの大聖年」に際しての一般公開後、カテドラルで新しい容器の中に保管されるようになった。
- 2002年6月~7月修復。 布の修復により継ぎ当てを外し、聖骸布を1532年の火災後の状態に戻して姿が表面的であることを確認し、布の表と裏の精密な写真を写した。
- 2008年高画質写真. Haltadefinizione®社の高画質の新技術で布全体のスキャンが行われる。
- 2010年4月12日~5月23日一般公開。 一般公開が行われ。教皇ベネディクト16世が巡礼した。
- 2015年4月19日~6月24日一般公開。 ドン・ボスコ生誕200周年に67日間ほど公開され、教皇フンシスコが巡礼した。